2011年3月11日と以降数日の記憶のメモ

March 11, 2021 by Yudai Suzuki

当時、自分はECサイトを運営している弱小ベンチャーでプログラマの見習い社員みたいなことをやっていて、超イレギュラーオペレーションを色々経験したんだけど、今思うとそれはそれでいい経験だったので、まとまりはないが、覚えていることを書き留めておこうと思ったので書いた。

地震当日

ミーティング中に発生した。人生で初めて強く死を意識したのを覚えている。その後すぐに帰宅指示が出た。
携帯電話が使えなくなったので、連絡はSkypeでやりましょうと全社員に入れてもらった。
物流倉庫に被害があって出荷ができなくなったと連絡があり、出荷ができないなら商品の購入させるわけにはいかないため、サイトメンテナンス状態にした。(当時この辺の作業をしてなかったのでうろ覚え)
たまたま同僚が車で出社してたので、家の近くまで車で送ってもらえた。
飼い猫の心配をしていたが、家に入ったら猫がベッドの下から元気に出てきたのでほっとした。

土日

自宅待機。2011年3月11日金曜だったので、会社(と親会社)の役員、取締役たちは土日でどうサービスのオペレーションを立て直すかの会議をしてたと聞いてる。

月曜以降

物流倉庫の被害が大きく、保管しているものが散乱してしまって物流作業ができない状態になっていた。
親会社の倉庫を間借りさせてもらってたので、倉庫のオペレーションが復旧しないと出荷ができない。
親会社も通販業なので、物流倉庫の復旧が最優先。そのため、親会社・子会社の社員総出で物流倉庫の復旧にあたることになった。当然、復旧までサイトメンテナンス状態となる。

月曜から数日間(正確に覚えてないが、2〜3日程度だったとは思う)倉庫に出勤して復旧作業。
棚から落ちてしまった商品の片付け、滞留している梱包作業などを行った。当初の予定よりも早く復旧できたことを覚えている。

物流倉庫復旧後

物流倉庫をある程度復旧させたら、次はサービスをいつ再開させるかの話になる。

日用品のサイトなので、カップラーメン、水、ティッシュ、トイレットペーパーなども販売している。既に全国的に物資の不足が発生していたので、サイトを再開したらアクセスが集中することが容易に想像できる。

また、交通インフラも地震の影響を受けており、受注したとしても安定して届けられる保証はない。
配送業者から「この地域には送れません」みたいな連絡がきたり、プレスリリースを出してたので、確か配送地域を絞ったり、届けるまでの日数を長めに設定するなどの対応を行っていた記憶がある。

そして、そんなトラフィックに耐えられるような良い作りにはなっていない。
サービスを止めている間は当然、会社の利益は無い。最終的にエイヤで開けたはず。

開ける -> サイト重くなって不安定みたいなことを繰り返してたと思うが、この辺どうだったかあんま記憶にない。欠品は多かったと思う。

その後のはっきりした記憶はあんまりなくて、グダグダやりながら緩やかに普通にサイトを運営できるようになっていった気がする。

感想

3/11直後のバタバタは色々覚えてるけど、1週間ぐらいしたあとの記憶って無いもんだな〜と思った。当時はスキルもなくて、システムの改修自体はほとんどできなかったから、手を動かせてたらもうちょっと色々覚えてたかもしれない。 今はもうこの会社は存在しないけど、プログラマの道に進むことになったりした色々思い出深い会社だったな〜。

東日本大震災にて犠牲となられた方々のご冥福をお祈り申し上げると共に、被災なされた方々に心よりお見舞い申し上げます。

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